第2話:ボーイ・ミーツ・コンピューター

前回から続く前田尋之のパソコン遍歴の第2回。今回から表題にあるX1が登場します。まさか30年以上経ってこのような記事を書くことになるとは……当時の写真をもっと撮っておけばよかったと、今更ながらちょっと後悔していたりします。

「さんふらわあ」船内でゲーム三昧

約1年にわたってナイコン族であったことは前回も書いたとおりですが、そんな私にもいよいよナイコン族卒業の日が訪れます。そのきっかけは、1983年の夏休みに田舎である松山へ帰郷したときでした。

少々話が脇道にそれますが、当時の私は松山への帰郷を何より楽しみにしておりまして、それには二つの理由がありました。一つは帰郷に長距離フェリー「さんふらわあ」を使って行けたこと、もう一つは祖母の財布を当てにしてゲーセンに行けたことにあります。

今は廃線して運行していないのですが、まだ本州と四国が陸路で結ばれていなかった当時に「さんふらわあ」という長距離フェリーがありました。カフェテリア形式のレストランや海水プールまで備えた優雅なクルーズ客船を思わせる「さんふらわあ」は、ゲームコーナーもかなり大きなものを備えていたのです。『シュートアウェイ』『ポールポジション』といった大型筐体はもちろん、『マッピー』や『ボスコニアン』など、当時としても比較的新しいゲームが導入されており、長い船旅の間、ずっと遊ぶことができたのです。なにしろ、一旦乗船してしまえば目的地に着くまで他に娯楽もないため、親もある程度黙認せざるを得ません。おかげで、皆が寝静まった夜中も抜け出して、一晩中ゲームをやっていました(笑)。

さらに松山に行ってしまえば、学校の目も届かない(当時は学校の校則でゲームセンターに出入りできなかったため)ことをいいことに、ほぼ毎日のように一番町三越のナムコランドに入り浸っていました。ここまで書いて振り返ってみると、ほんとにゲーム漬けだったんですね、私。

松山でX1と出会う

ちょうど帰郷中のある日、松山城ロープウェイ街の中に一つの店がオープンします。その名も「シャープOAショウルーム」。私がパソコンに興味を持っていることを知っていた祖母がオープンのチラシを手に連れて行ってくれたのがきっかけでした。

オープンの記念品は、「書院」のシャープらしく漢字辞典。確か開発の陣頭指揮を執っていらっしゃった担当重役が漢字博士号をお持ちでいらっしゃることに由来したのだとか(この辺は当時の記憶なのでうろ覚え)。

ショウルームは15坪~20坪くらいの広さだったか、できたばかりの綺麗なフロアの中にはシャープのワープロ「書院」のほか、MZ-700やMZ-2000といった当時の主力マシンが所狭しと並んでいました。そんな中において、他の「いかにもOA」といったイメージをまったく感じさせない、ひときわ綺麗なスタイリッシュなパソコンが目に入ったのです。それが私のX1との初めての出会いでした。

当時の私はまだ小学生。デザインもパソコンの機能に対してもろくに知らない状態でしたが、白いショウルームの内装の中で鮮烈に主張する、ローズレッド、スノーホワイト、メタリックシルバーの3色のボディ。さらに、キーボードからモニターまですべて統一されたサイズで構成された外観にたちまち魅了されてしまったのです。本当に一目惚れに近い状態でしたね。

それまでは『こんにちはマイコン』の影響もあって「いつかパソコンを買う時は断然PC-6001!」とまで主張していたにもかかわらず、ほぼ直感に近い状況で「このパソコンを欲しい」と祖母にねだっていました。今思うと、ろくにスペックも知らない得体の知れない(失礼)機械をよく欲しいと思ったものです。

普通に考えればハードウェアスペックを知らないまでも、パソコン1台買おうと思えば、対応ソフトの数や品質をまず比較検討します。しかし、私にとってのパソコンは「ゲームを買う金がないから、自分でゲームを作るための機械」でして、対応ソフトの多寡はそれほど重要視していませんでした。プログラムするにしても、X1のHuBASICはMZシリーズのS-BASICに比べてマイクロソフト系BASICに近かったため、これならそれほど障害にならないだろうという判断も購入の決断に繋がりました。

ただ、その一方でグラフィックVRAMが何であるかすら理解しておらず、購入時に「別売りですがお付けしますか?」と聞かれた時に訳が分からずも言われるままに付けてしまったという、今考えると恥ずかしい思い出があります。ここでもし断っていたら、X1の売りである強力なグラフィック機能が丸々使えなかったわけで、もしかしたらここまでX1を長く使っていなかったかもしれません。

色については、自室に置いた時のマッチングをイメージしてスノーホワイトを選択。しかし、これは後続モデルには一切採用されなかった初代機限りのカラーでして、モデルチェンジで新機種が発売されるたびにホワイトがないことに対して寂しい思いをしたものです。もっとも、純正周辺機器が最初からレッドとシルバーしか用意されていなかったあたり、シャープ自身、最初から展開することを考えてなかったのかもしれませんね。なお、故・宮永義道シャープ顧問の言によれば、一番売れたのは赤だったそうです。

購入サービスでガイドブックを2冊+ゲームソフト1本をいただけるということでハドソンの『デゼニランド』を選択。当時は同タイトルのことを知らなかったのですが、『こんにちはマイコン』2巻でアドベンチャーゲームの魅力について触れていたため、自分でもプレイしてみたかったというのがその理由です。このあたりのゲームについてはまた次回以降に触れたいと思います。

ちなみに、夏休みが終わって千葉に戻る帰路では、あれほど往路でゲーム漬けだったにも関わらず、貰ったガイドブックや取扱説明書を眺めてニヤニヤしていました。現金なものですね。

 

当記事に関連する商品紹介

ABOUTこの記事をかいた人

1972年愛媛県松山市生まれ。アーケード、家庭用、PCはもとより美少女ゲームまで何でも遊ぶ、ストライクゾーンの広い古参ゲーマー。ただし、下手の横好きがたたり、実力でクリアできたゲームの数は決して多くないのが弱点。