第1話:ああナイコン族の1年間

パソコンやゲームを題材にしたブログで、大抵誰しも一度はネタにしているのが自身のパソコンやゲーム遍歴の話題。私自身がそういった思い出話を読むのが面白いというのもあるのですが、せっかくホビーパソコンをテーマにしたサイトを立ち上げたのだから、私自身のパソコン遍歴について語りたいと思います。

なお、タイトルに「X1」とつけましたがそれ以外の機種も多々登場することが予想されます。また、その当時の趣味やゲーム、世相なども絡んでくる点が多々あるため多分脇道にそれることも多々あるでしょうけど、その点はあらかじめご了承ください。

そもそも、今回の第1回にX1が登場しません(笑)。

前史

私が初めてパソコンに触れる前の興味の中心はゲームでした。

実は私、幼少の頃はインドネシア在住だったという帰国子女なんですが、日本人の子供一人が外で遊ぶことは誘拐などの危険が伴うため、自ずと家で本を読むのが好きというインドアな子供として育ちました(余談ですが、私のもうひとつの趣味である「マンガ」もこのような育ちが背景にあるかもしれません)。そんな私に日本からの土産としてプレゼントされたのがエポック社のLSIゲーム機、デジコム9でして、これが人生初ゲームとなります。

ボールの軌跡が赤LEDで表示されるだけという極めて原始的な代物ですが、当時のON(王・長島)コンビによる野球人気の高い時代背景もあって、「卓上で野球を体験できる」という衝撃は計り知れないものでした。残念ながら現物は残っていませんが、ホームランを打ったときの圧電ブザーの音は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。

これが機となってゲームの面白さと魅力に取りつかれた私は、任天堂のテレビゲーム15、ゲーム&ウォッチと、順当にゲームオタクへの道へと進むことになります。もっとも、これは私だけに限った話ではなく、ファミコン登場前の1980年前後はLSIゲームやゲーム&ウォッチの大ブームがあった頃でして、どこの小学校でも教室にゲーム機を持ち込んで貸し借りをしていたものでした。おそらく同じような経験をされた同年代の方も、この記事の読者の中には多いのではないでしょうか?

時を同じくして、クラスの悪友に誘われてアーケードゲームに触れ(この頃は日本に帰国していました)こちらの魅力にもハマります。さすがに小学生の身分ではゲーム代がそうそう捻出できすはずもなく、田舎への帰郷時や遊園地のゲームコーナーなど、大手を振って親にゲーム台をせびることができるロケーションが多かったですね。『ドンキーコング』『パックマン』『ギャラクシアン』『ディグダグ』『エレベーターアクション』など、各メーカーの初期の名作群に触れたのもこの頃でした。

そしてナイコン族へ

ゲーム好きでマンガ好きでもある私にとって、お気に入りだった作品に『ゲームセンターあらし』(すがやみつる著)というマンガがありました。荒唐無稽な世界観でもありながら実在のゲームが続々登場するという、フィクションとリアルのブレンド具合が絶妙な『あらし』にたちまち魅了され、その流れで同作のキャラクターが登場するパソコン(当時はマイコンと呼ばれていた)入門マンガ『こんにちはマイコン』も手にしたのでした。

最初は「『あらし』の番外編が読める」程度の認識で、パソコン自体にはさしたる興味もなく読み始めたのですが、「マイコンがあれば自分でゲームを作ることができるんだぜ」という大文字さとるのセリフが当時の私にとって衝撃でした。なにしろお金もない小学生にとって「自分でゲームが作れる」というのは、ゲーム代がかからないという意味であり、「パソコンさえあればあとは全部タダゲーできる!」という短絡的な発想に直結したのです。今思うと、この辺がまさに小学生らしい!

『こんにちはマイコン』にはマイコンショップで好きなだけマイコンが触れる……といった描写があるのですが、当時私が住んでいた千葉県我孫子では駅前にあるダイエーがその役割を担っていました。1982年前後のマイコンブームの頃には家電売場やおもちゃ売り場の一角にパソコンが置かれ、BASICの起動画面が表示されたままで、自由に触ることができました。MSXやM5などのようにROMカートリッジでソフトが供給された機種ならともかく、店員も扱い方がわからず「子供に適当に触らせることが一番のデモンストレーション」と考えたのではないでしょうか。

私も学校が終わると売り場に直行!といった毎日を過ごすようになり、前出の『こんにちはマイコン』をテキストに、掲載プログラムを打ち込んでいました。データレコーダーは繋がっていないため、せっかく打ち込んだプログラムも電源を落とせば消えてしまうのですが、プログラムを打ち込んで動いた快感を味わうために、同じプログラムを何度も入力していたのを覚えています。もっとも、アルファベットの大文字小文字もわからないような子供が見よう見まねで打ち込んだプログラムなんぞ一発で動くわけもなく、「どこが間違ってるんだろう?」と悪戦苦闘するのも当時のパソコン習得のために誰もが通る道でしたね。

こうしたパソコン売り場には自然に子供が集まっていたですが、パソコンスキルが高い先輩格の子が初心者にプログラムのイロハを教えるという、ちょっとしたコミュニティになっていたのも、今となっては微笑ましい光景でした。

このようにパソコンを持っておらず、店頭や友達の家に通いつめてパソコンをいじる人種を当時は「ナイコン族」と呼んでおり、私にとって最初のマイコンピューターであるX1を手にするまでには1年以上のナイコン族としての日々が続いたのでした。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年愛媛県松山市生まれ。アーケード、家庭用、PCはもとより美少女ゲームまで何でも遊ぶ、ストライクゾーンの広い古参ゲーマー。ただし、下手の横好きがたたり、実力でクリアできたゲームの数は決して多くないのが弱点。