第3回:我が家にX1がやってきた!

第1回第2回と、本サイトの人気記事ランキングの上位独占という反響具合に大変驚いています。でも、この連載コラム、いざ書き始めてみると書きたいことが多すぎて、思いのほか長くなってしまいそうで、書いている私本人、ドキドキしています。この回でようやく1983年末、このペースだと全何回になるんでしょう!?

我が家にX1がやってきた!

松山から戻ってきてからまもなくのこと、待望のX1が納品されてきました。箱から開梱すると同時に嬉々として作業したのがアンテナの配線。そう、X1は「パソコンテレビ」と銘打たれた、パソコンでありながらテレビとしても使える機種なのです。

X1の大きなセールスポイントとして、テレビ映像とコンピューター画像を合成表示できる世界初の「スーパーインポーズ機能」をプッシュしていたのですが、失礼ながらそんな建前はともかくとして、小学生である私にとって何より嬉しかったのは「自室にテレビがやってくる」という点でもありました。これで、親兄弟ともチャンネル争いをすることもありませんし、ゲーム機がリビングのテレビを占領することもありません(もっとも当時は据え置き型テレビゲーム機は我が家にはありませんでしたが)。

届いたばかりの新機種をセッティングする喜びは今も昔も変わりません。ショウルームで見たあのスタイリッシュなホワイトボディが目の前に姿を現すその感動は、今でも鮮明に記憶に残っています。当時の自室は畳部屋で、古い木製のテレビ台とちゃぶ台に置かれた、今から思えば少々不恰好な設置でしたが、当時の私にとってそれは些細な問題でした。家に届いてからしばらくの間は、電源が入っていない間も新品のボディを見てはニヤけていたような気がします。

ちなみにこのスーパーインポーズという機能は「テレビ映像とコンピューター画像を合成表示」という未来感溢れる文言から、「よくわからないけどなんだか凄そう」というイメージが先行しがちな機能です。しかしその実態は、X1(turbo除く)では標準で合成画像を保存する手段がないため、いま一つ使い道がない代物でした。初期の頃こそ、面白がってテレビ映像をバックにプログラムを組んでいたりしたのですが、次第に面倒になって使わなくなってしまいます。

余談ですが、シャープがX1にもたらした「ファッショナブルな家電的センス」「カラーバリエーション」「スーパーインポーズ機能」という、それまでのパソコンにはないイメージは家電メーカー各社にも大変衝撃を与えたようで、当時のパソコン老舗メーカーだったNEC、富士通、日立といったメーカーは後を追うようにAVパソコンをリリースしました。特にスーパーインポーズは割高な専用ディスプレイテレビもセットで売ることが出来たため、当時のAVパソコンの花形機能といえたのかもしれませんね。

プログラム技術の壁への苦悩と、ベーマガとの出会い

我が家にX1が来てからというもの、当然といえば当然なのですが、ぱったりと第1回目に登場したパソコン売り場にたむろすることもなくなりました(実はその数年後にまた通うことになるのですが、その話はまた今度)。なにしろ家にパソコンがあるわけですから、それこそ朝から晩までプログラム漬けになるかと思いきや、逆にいつでもできるゆとりができたためか、少々熱がさめていた時期でもありました。

『こんにちはマイコン』で得られるプログラムの知識はあくまで基礎でしたし、パソコン売り場に行かなくなったということは、そこに集まっていた先輩格の子から教わることもなくなっていたため、ある種、知識レベルの壁にぶつかっていたのでしょう。当時作ることができたプログラムもせいぜいテキストレベルの簡単な文字当てゲームや計算ゲームの延長みたいなものばかりで、「タダゲー三昧できるからパソコンを買った」という当初の目論見と、自分のプログラム技術という現実のギャップに悩んでいました。いきなり『インベーダー』や『パックマン』レベルのゲームが小学生に作れるはずもなく、当たり前といえば当たり前なのですが。

そんな「煮詰まっていた」時期に突破点を指し示してくれたのが、またもやX1を買い与えてくれた祖母の存在でした。当時の私の心情を知っていたわけではないでしょうが、パソコンを触っている孫に1冊の雑誌を買い与えてくれたのです。そして、この出会いが私の運命を大きく変えることになります。

その本の名前はベーマガこと『マイコンBASICマガジン』1983年11月号。ユーザーからのプログラム投稿を軸に、新製品やソフト情報を満載した電波新聞社の月刊誌です。

なぜ、祖母が当時数あるパソコン雑誌の中からベーマガを選んでくれたのかはわかりませんが、他人の投稿プログラムの数々は、自分の視野を広げるにあたって大きな力となりました。プログラムの技術の向上はもちろんですが、当時のパソコンのスペックで出来る事と出来ない事、限られた性能の範囲でどのように楽しませれば良いのかというゲームデザインという概念を、私は初めて学ぶことができたのです。

そして何より衝撃だったのは「1983年11月号」というところでして、筋金入りのマニアならピンと来るかもしれませんが、この号から別冊付録で付くようになった「スーパーソフトマガジン」の存在でした。

アーケードゲームの情報なんて『ゲームセンターあらし』くらいしかなかった当時において、『マッピー』の大特集は大きなショックでした。元々アーケードゲームが好きでパソコンに興味が移った私ですから、このベーマガとの出会いはまさに天啓だったのかもしれません。こうして、アーケードゲーム情報、パソコン情報、投稿プログラムという3つの情報欲求を同時に満たせるベーマガにどっぷりのめりこむ日々が始まるのでした。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年愛媛県松山市生まれ。アーケード、家庭用、PCはもとより美少女ゲームまで何でも遊ぶ、ストライクゾーンの広い古参ゲーマー。ただし、下手の横好きがたたり、実力でクリアできたゲームの数は決して多くないのが弱点。