パーフェクトカタログについて思うこと

つい先日、ジーウォーク(ご存知パーフェクトカタログを発売している出版社です)で、今後の出版計画についての打ち合わせをしてきました。その際に既刊の販売部数ランキングや版元の在庫状況などシリーズ開始当初はあがることのなかった話題になり、感慨深いものがありました。パーフェクトカタログ自体が気がつけばちょっとした歴史の一部として語れるレベルとなっていたんですね。

ちなみにそのランキングとは以下のもの。

2018年5月に『メガドライブパーフェクトカタログ』を発売して4年半、ちょっとしたゲームプラットフォームのライフサイクルに匹敵する年数です。ミニ系ハードなど小規模なものを除けば発売数はすでに21冊を数え、私自身ここまで続くとは想像もしていませんでした。これまでの道は決して順風満帆とはいえませんでしたが、ここまで続けてこられたのはシリーズを応援してくださった読者の皆様あってのこと、改めて深くお礼申し上げます。

当初はメガドライブ発売30周年という節目であったこと、メガドライブミニというハードが発表されるお祭りムードがあったことから始まった企画ですが、20世紀に発売されたメジャーなゲーム機は概ね出し終えたこと、ゲーム&ウオッチやMSXといった家庭用ビデオゲーム以外のテーマも手掛けたりと当初の想像を超えた展開をするに至りました。今回は「パーフェクトカタログとはそもそも何なのか」ということで、これまでを振り返りつつ根底の企画意図について語りたいと思います。

本の大きさへのこだわり

パーフェクトカタログを初めて発売したときによく言われたのが「大きすぎる」でした。この大きさは決して好意的な評価ではなく、むしろ当時のゲーム関連本や攻略本などは雑誌を除いてほとんどA5判が一般的でして、パーフェクトカタログのB5判はネガティブな要素として受け止められたのです。実はこのサイズは電波新聞社の『オールアバウトナムコ』のリスペクトから来ておりまして、当時中学生だった私が本の大きさとボリューム感に大満足したという原体験が根底にあったりします。そのため、本文文字のサイズや段組み、ノンブル位置まで『オールアバウトナムコ』準拠なんですよ。

そんな個人的なワガママで決まった判型ですが、シリーズが進む上で「大きすぎる」の声は次第になくなり、むしろ他社のゲーム本もB5判が多くなって、むしろこのサイズがスタンダードになっていきました。また、『ゲーム&ウオッチパーフェクトカタログ』ではB5判のサイズを生かして、本体をすべて原寸大で掲載するという副次的な効果もありました。今思うとこの判型を主張した自分を褒めてやりたいくらいです。

ちなみにB5判は菊判の原紙から切り出すには無駄が多く、A5判に比べて1.5倍以上の紙代がかかるので、当時はジーウォークからもコスト的観点から難色を示されました。結果的に本が売れてくれたことはもちろんですが、渋々ながらもGOサインを出してくれた版元にも感謝しています。

ハード、ソフト両面からの解説の必要性

『メガドライブパーフェクトカタログ』の制作経緯は過去の記事で触れたとおりですが、当初からソフトとハードの魅力を同時に1冊に詰め込む本を考えていました。これまで同種のカタログ本はいくつもありましたが、大抵ソフトの紹介のみで終わっているものばかりだったんですね。もちろんソフトだけでもレビューを網羅することは十分に大変なのですが、ソフトの魅力を知る上でハードを理解することはより重要であると私自身は考えていたため、ハード解説に十分ページを割いた本にこだわったのです。

例えば、言わずと知れたビッグタイトル『ストリートファイターⅡ』は、その魅力からさまざまなゲーム機に移植されました。スーパーファミコンやメガドライブ、PCエンジン、X68000など、それぞれのハードの特色を活かしてアーケードの魅力を損なわない高レベルな移植を実現しているわけですが、そもそもスーパーファミコンやメガドライブの性能を十分に理解していないと、どの辺が「高レベル」なのかが伝わりません。「キャラが小さい」「ここが違う」「音が似てない」などアーケードとの違いを指摘するのは簡単ですが、移植にするにあたって変更が生じるのは当然ながら理由があり、それ自体が移植作品の魅力へとつながったケースも多々あります。さらに、ハード性能のハンデを超えて移植する当時の開発者の知恵と工夫を理解するには、対象となる移植先のハードの知識は必須と言えるでしょう。

もちろん、このレベルの開発テクニックの妙を理解するためにはある程度オタク的素養が必要ですし、単純にソフトカタログとして楽しむ分には必ずしも必要な知識ではありません。しかし、メガドライブなりPCエンジンなりのソフト資産だけ後世に残っても、先に述べた開発者の叡智の部分を一切触れずにソフトの上っ面だけを評価する片手落ちであり、大きな損失だと私は思います。もちろん詳細な技術書レベルとまではいきませんが、「ハードあってのソフト」、「ソフトあってのハード」という両輪をセットで捉えて親しんで欲しい……これがパーフェクトカタログの中で一貫した私の願いなのです。

パーフェクトカタログはレトロゲーム本じゃない

パーフェクトカタログシリーズはレトロゲーム本とよく呼ばれますが、実は本書の中ではレトロゲームという表現は基本的に使っていません。なので、私が「このテーマで本を作りたい」と考えればパーフェクトカタログになるのであって、扱うテーマは必ずしもいわゆるレトロゲームとは限らないです。もっとも、比較的古めのハードをテーマに選ぶことが多いのも事実でして、これについてももちろん理由が存在します。

平たく言えば「昔話をするのは楽しい」からなんですが、特にゲームの話というのは当時の遊んだ楽しい思い出とセットになっていることが多いんですよね。こういった感覚は現行ゲーム機では起こりにくいので、自ずとそれなりに時間の経過したハードになります。タイムカプセルやアルバムを見るような感覚でパーフェクトカタログを肴に当時の思い出に浸ってもらえれば嬉しいです。もちろん、当時に触れてこなかった世代の人にも、そのゲーム機を俯瞰する資料として魅力を知る一助になれればと思います。

ちなみにこの昔話をするレベルですが、読者の年齢によって想い出のゲーム機というのはもちろん違いがあります。ファミコンで青春を過ごした世代は基本的に50歳以上になりますが、一方でPS2やドリームキャストを子供の頃に遊んでいた層は30歳前後となります。よく「○○はレトロゲームに含まれるか?」なんて論議がありますが、対象となる年齢層によってそれぞれの「レトロゲームの尺度」はあるわけで、レトロゲームに対して一元的に定義づけするのは強引な考え方ではないでしょうか。私がパーフェクトカタログでレトロゲームという文言を極力使わない理由もここにありまして、もしかしたら数年後にはPS3やPS4のパーフェクトカタログが発売されるなんてことになるかも知れませんね。

ソフトレビューではなく、あくまで紹介文

パーフェクトカタログに対してよくいただく意見の一つに「ソフトレビューをもっと充実させてほしい」というものがあります。一部の本を除いて確かにテキスト量は少ないのですが、これはパーフェクトカタログのソフト紹介はあくまで「紹介文」であり、「レビュー(批評・論評)」ではないという点にあります。

これについては基本的な考え方として、「パーフェクトカタログはあくまでカタログである」というものがありまして、書き手の主観はなるべく廃しているのが一番の理由となります。ゲームの想い出や受け止め方は人それぞれであり、世間一般でクソゲーとして認知されているタイトルであっても買って楽しんだファンが少数ながらもいる可能性がある以上、「このゲームはクソゲー」と断じることは適切でないと判断したためです。むしろ前節で述べたとおり、本書を話の肴にして皆さんが好き好きに思い出に浸ってもらうのが正しいあり方と考えます。

また、実務面としてこれだけのシリーズに掲載しているゲームソフトを私一人が全てプレイしきれていないという問題もあります。本書は複数の人間の手によってソフト紹介を執筆しておりますが、個々の主観を排しつつも一冊の本として公平に情報を扱った結果、カタログという体裁になったと捉えていただければ幸いです。仮に私個人の主観によるゲーム論をという需要あれば、パーフェクトカタログとは違った形でまとめたいと思います。

 

各パーフェクトカタログのまえがきやブログ記事で編集裏話を語ることはあっても、今回のようなシリーズ全体を振り返る機会はなかったため、思うままに書き進めていった結果、つい長文となってしまいました。まだ触れていない話題もあるのですが、そちらはまたの機会にでも語りたいと思います。

今後どこまで続けられるかわからないパーフェクトカタログですが、既刊と合わせてこれからもよろしくお願いいたします。

ABOUTこの記事をかいた人

1972年愛媛県松山市生まれ。アーケード、家庭用、PCはもとより美少女ゲームまで何でも遊ぶ、ストライクゾーンの広い古参ゲーマー。ただし、下手の横好きがたたり、実力でクリアできたゲームの数は決して多くないのが弱点。