私が何故このサイトを作ったか その②

前回(その①)に引き続き、本サイト設立までの内幕話です。

何故、前田尋之オフィシャルサイトで情報サイトみたいなことをやろうとしたのか?ですが、私にとっては前田尋之情報を発信するのも、読みもの&その他情報を発信するのも、情報発信するという行為において本質的には同じなんですよ。

同じことをやるのにわざわざ2つのサイトを立ち上げて、それぞれを独立運営するのは正直いって面倒くさい。しかも、私がどちらも管理人をやる以上、レトロゲームやホビーパソコン寄りになることは最初からわかっているわけで、なおのこと似通ったサイトを複数持つ意味が見出だせなかったんです。

「前田尋之」という名前を前面に出さないサイトとして運営するオプションも考えたのですが、それはそれでオフィシャルサイトを作ろうという本来の目的は果たせないから本末転倒。むしろ、それだったら「青木雄二マガジン」「ほぼ日刊イトイ新聞」みたいに編集長の名前を前面に出す方向で割り切っちゃえ!が、私の出した結論でした。もちろん、人には相性があるでしょうし「前田尋之が嫌い」という方もいらっしゃると思います。でも、そういった方はどんな名前のサイトを作っても結局読んでくださらないでしょうし、とりあえずはこの形で行けるところまでいってみようという形で落ち着きました。

もちろん、この方法論が最適解かどうかは現時点ではありませんし、世相や状況は刻々と変わっていきます。そういった意味では、サイト名や運営方針はいつまでも同じという保証もありません。もしかしたら将来的に変わる可能性もありますが、その時は「ああ、行き詰まったんだな」と笑ってやってくだされば幸いです。

なんだかもう1回くらい続きます。

ABOUTこの記事をかいた人

1972年愛媛県松山市生まれ。アーケード、家庭用、PCはもとより美少女ゲームまで何でも遊ぶ、ストライクゾーンの広い古参ゲーマー。ただし、下手の横好きがたたり、実力でクリアできたゲームの数は決して多くないのが弱点。