第2回:テクノポリスってどんな雑誌?

いきなり個人的な話題でなんですが、前回の記事を公開してすぐに古馴染みの友人・久保田から「記事を見たよ」とFacebookを通じて早速連絡をくれました。はい、電波新聞社に一緒に行った友人であり、後にベーマガの第三次レスキュー隊員となったASP.久保田その人です。

彼とは学校こそ違いましたが、当時放送していたラジオ番組『斉藤洋美のラジオはアメリカン』のイベントで知り合ったという間柄でして、同じX1ユーザーだったことから意気投合してよく遊んでいた仲でした。ちなみに、私の自作X1ゲームのテストプレイも引き受けてもらってまして『クエスチョンクエスト』ではクイズ問題作成者として起動時のスタッフクレジットに名前を連ねていたりします。

お互い社会に出てから自然と疎遠になっていたのですが、2015年に開催されたトークイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン」で再会したのでした。なんだか、つくづく自分の人生においてベーマガの影響力ってデカいなぁと思わされてしまいます。

テクポリは元々硬派なプログラミング誌だった

冒頭から大きく話をそれましたが、今回は私の編集者人生の第一歩となった「月刊テクノポリス」(以下テクポリ)について紹介したいと思います。

テクポリの創刊は1982年。マイコンブームの流れに乗る形でベーマガ、ログイン、コンプティークなどの第二次パソコン誌創刊ラッシュ時に立ち上げられた雑誌です。当初はプログラムやサイエンス情報などを幅広く扱う硬派な雑誌でしたが、人気アニメキャラのCGプログラム投稿企画が人気を博すなど、アニメとの親和性を図るカラーが次第に確立していきました。

ちなみに、CGプログラムとは今でいう3DCGのことではなく、ラインとペイントを駆使して“BASICプログラムで”1枚絵を描くというもの。プログラムを打ち込むのに大変な労力が要るものの、打ち込んだプログラムが目の前の画面上にさまざまなキャラクターを描いていく様はちょっとした感動だったりします(打ち込みミスで燦々たる画面になるケースも多々ありましたが(笑))。

1980年代半ば以降になると、プログラムを自分で打ち込むよりも市販ゲームの情報が求められるようになり、先に挙げたベーマガ以外の各誌はパソコンゲーム情報誌へと方向転換。テクポリも同様にゲーム誌の色が濃くなるのですが、「アニメとの親和性」というキーワードがより進んだ方向へと結実することになります。

1988年に本の判型をA4変形からB5判に変更、一般のゲームを紹介する「ゲーミングワールド」、美少女ゲームを紹介する「レモンちっくわーるど」、同人ソフト関連の情報を扱う「Do-Jinファン」の3つを柱に据えた雑誌へと大きくリニューアルしました。

世間では「テクノボリス=美少女ゲーム雑誌」というイメージがかなり強いかと思いますが(私も自分が仕事するまでそう思ってました(笑))、実はテクポリの一番の功績はDo-Jinファンの存在だと思っています。

KADOKAWAの先を行っていた?徳間書店グループ

徳間書店は実はかなり先見性のある会社でして、今でいうメディアミックスをかなり早い段階で仕掛けていました。

徳間書店本社で「アニメージュ」「月刊キャプテン」、アニメ会社としてスタジオジブリ、音楽・映像出版流通で徳間ジャパンコミュニケーションズ、ゲームとパソコン関連で徳間書店インターメディア、とすべての歯車さえキレイに噛み合えばかなりの相乗効果が見込める布陣を敷いていたのです。

テクポリ自身もゲームソフトブランドとして「テクノポリスソフト」「ゲームテクノポリス」という2ブランドを所有、テクポリ本誌でコミック連載をしてゲーム発売を狙っていたメディアミックスのはしりというべき『インジュカーシス』(残念ながらゲームは未発売)といった企画もありましたね。

さらに、本誌の表紙やカットイラストにいのまたむつみ氏を起用、ほかにもレギュラーイラストレーターやマンガ家に佐藤元氏中沢数宣氏うるし原智志氏といったアニメファンを狙った人選も、イイ感じで「軟派なゲーム誌」といった感じでした。

現実には、メディアミックスという言葉もなかった当時の徳間書店グループの中に、これだけの巨大な絵図を描けるだけの人材が欠けていたため、歯車同士が相互に噛み合うことはほとんどなく、単独運転状態だったのが返す返すも勿体なかったですね。舵取りさえうまく行けば、下手をすればKADOKAWA以上のメディアコンツェルンに立てたかもしれません。

これは余談ですが、私はキャプテンが好きで毎月購読していたのですが、『強殖装甲ガイバー』『宇宙家族カーブビンソン』など、コンテンツ単体の商品力は強力なのにメディア展開で失敗していた感があって歯痒かったです。しかもキャプテン休刊後、どちらもKADOKAWAに行っちゃったのがまたさらに歯痒いという……。

 

話を戻して、ここでテクノポリスにおいて重要なキーパーツの役割を果たしていたのが「Do-Jinファン」でした。

読者ページの「テクポリくらぶ」と並んで、在野のアマチュアクリアイターの育成、イラストレーターの発掘、情報交換といった、他誌にはない情報交換の場として機能していたのです。実際、投稿常連やDo-Jinファンに掲載されたサークルがゲーム会社を立ち上げたり、プロになったケースを多数見てきました。

このあたりは語りだすとかなり長くなってしまうので、また別の機会に語りたいと思います。

2 件のコメント

  • テクノポリスかぁ…懐かしい。表紙がいのまたむつみ氏になったことで、迷うこと無く即書いしたような気が。
    確かまだこの時期は、同人ソフトの紹介欄に住所も掲載していた時代ですから、返信用シール/定額小為替のセットで度々色々なサークルに送ってた思い出があります。美少女ゲーム紹介欄も、1ゲーム1ゲーム各々の紹介もしっかりしてましたよね。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1972年愛媛県松山市生まれ。アーケード、家庭用、PCはもとより美少女ゲームまで何でも遊ぶ、ストライクゾーンの広い古参ゲーマー。ただし、下手の横好きがたたり、実力でクリアできたゲームの数は決して多くないのが弱点。