第4回:X1版『ゼビウス』がもたらした満足感と絶望感

今でこそハードの牽引の重要なファクターとしてキラータイトルの存在を疑う人はいないと思いますが、X1にとってのキラータイトルは『ゼビウス』でした。ゲームそのものの紹介や解説はあまりにもメジャータイトルなため割愛しますが、ここでは本作の登場によってもたらされた私の心情の変化について語りたいと思います。

X1はゲーム開発向きのパソコンだった

前の回でも少し触れましたが、当時のパソコンは「ゲームを自分で作るための機械」という側面が強かったため、機種選定で対応ソフトの多さというのはさほど問題ではありませんでした。また、その機種のスペックに合ったものを作っていたため、少なくとも私の中ではパソコンの性能というものに無頓着だったのも事実です。なにしろ、X1を買った時点では、ゲームづくりの上で強力なアドバンテージであるPCG(プログラマブル・キャラクター・ジェネレーター)を知らなかったのですから。

少々専門的な話になりますが、PCGとは自分で文字キャラクターを書き換えることができる機能です。通常はパソコンに内蔵されているCGROMという部分に文字の形状が記録されているのですが、X1はそれをRAM上においた任意のデータと差し替えることができたのです。しかも、8色のカラーが使えたため、これだけでもかなりカラフルな画面づくりが可能でした。

実はこのPCG、ゲームの世界ではBGグラフィックと呼ばれ、アーケードゲームや家庭用ゲーム機では割とポピュラーな機能でして、当時の私はまったく自覚なかったにせよ、偶然にも(当時において)もっともゲーム作りに向いたパソコンを選んでいたのです。

ちなみに、このPCGはPC-8001やMZ-700といった他機種でもメーカー非純正品オプションとして発売されていました。これの有無による効果の程を示す例として、MZ-700版『マッピー』を紹介しましょう。

 

ただ、このPCGを使いこなすには2進数や16進数の知識が必要だったため、小学生だった当時の私には理解できず、それを使ったプログラムに至るまでには今しばらく時間を要することになります。

X1版『ゼビウス』がもたらした満足感と絶望感

自分でプログラムを作るために買ったとはいえ、いざパソコンを手にしてみると市販ソフトも気になるのは自然な流れでして、いくつかのゲームソフトを買うこととなります。

X1対応のソフトはメディアがカセットテープで価格は3000円~4000円程度、BASICで書かれた初期タイトルはハドソンやデービーソフトのものが印象に残っています。私も何本か買ったのですが、これらのタイトルは子供心にも「これって1~2日で作ったんじゃない?」と感じるような出来が多く、それでも需要があったのかそれなりの数が店頭に並んでいる、実に大雑把な時代でした。

ゲームといえばアーケードゲームが基準だった私にとって、いくら『こんにちはマイコン』で「マイコン一台で何百種類ものゲームが遊べる」と、さも凄そうに描かれていても、「この程度のものが山のように遊べてもそんなに嬉しくないなあ」と思ったものです(当時の作者の皆様ごめんなさい!)。言い換えれば、それまでの市販ソフトを見ても自分のプログラミングに対する自尊心が揺らぐことはなかったといえます。

そんな私の認識を一気に吹き飛ばしてくれるゲームが電波新聞社から発売されたX1版『ゼビウス』でした。

実はそれまでアーケード版を遊んだことはなく、X1版がマイ・ファースト『ゼビウス』なのですが、ベーマガのスーパーソフトマガジンで記事を追っかけていた私にとって、X1版発売のリリースは何にも勝る大ニュースでした。しかも、専用ジョイスティック付きで5900円というリーズナブル価格!

世の『ゼビウス』ファンがこのソフトを遊びたさにX1本体ごと買い求めたという逸話があるほどですが、ソフトだけではいえ、私も一も二もなく飛びつきました。思えば、このあたりから機種選びに「欲しいソフトがあるから」というソフト上位の概念が生まれたのかもしれませんね。

秋葉原で念願のソフトを買い求めて、自宅のX1で起動。ナイコン時代から思い描いていた「我が家でアーケードゲームを好きなだけ遊ぶ」が現実になった瞬間でした。

エリア毎にカセットテープ読み込みが必要でゲームの進行が中断されたり、キャラクター同士が重なると四角い切り抜き穴ができたり、付属のジョイスティックはレバーが右側に付いていて遊びにくかったりと、細かなツッコミを挙げればキリはありません。しかし、『ゼビウス』に夢中になった私にとって、そんな違いは些細な問題でした。プログラムそっちのけで昼夜延々と遊びまくって、親に怒られることもたびたびでしたが、今となってはそれもいい思い出です。

しかし、この「プログラムそっちのけで」というところが大きな問題でして、私にとって『ゼビウス』はゲーマーとしての満足感を満たしてくれたタイトルであったことは間違いないのですが、同時にプログラマーとしての絶望感をつきつけたタイトルでもあったのです。

これまで、私にとって「ゲームを自分で作って自分で遊ぶ」ことがパソコンの購入動機であり、大きなモチベーションだったのですが、『ゼビウス』の存在は小学生の思い上がりを粉々に打ち砕く結果となりました。この一件が、私の中の「ゲーム」「パソコン」というものを見つめ直す契機となります。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年愛媛県松山市生まれ。アーケード、家庭用、PCはもとより美少女ゲームまで何でも遊ぶ、ストライクゾーンの広い古参ゲーマー。ただし、下手の横好きがたたり、実力でクリアできたゲームの数は決して多くないのが弱点。