『ゼビウス』が、家でできるなんて!
1983年にゲームセンターを席巻した不朽の名作シューティングゲーム『ゼビウス』。
84年以降は8ビットPC各機種にも移植が行われます。
Tinyではないものとして先陣を切ったX1版『ゼビウス』。ベーマガの広告写真は美麗で、まさに自宅のマイコンでプレイできる理想の『ゼビウス』(に見えました)。
さて、我らがFM-7は…発売予定に名を連ねており、発売次期はX1より遅れるものの、画面写真も掲載され、期待が膨らみます。
しかし、…テープ版が無い。X1版にはあるのに。
それ以前に、画面がなんか微妙に緑と黄色っぽい、なんか変な色。ぐぬぬ。
今ならその理由も簡単に理解できます。縦2ドットのハードウェアスクロール機能を持つとはいえ、PCGやテキスト画面とグラフィック画面の分離という概念すらないFM-7には、『ゼビウス』を移植することは非常に困難。
FM-7はサブCPU側が画面処理を担う構造のため、VRAMの直接操作は出来ず、アクションゲームは非常に作りづらいのです。(後期はサブCPUの乗っ取りなど、さまざまな技法が確立し、他機種に匹敵するレベルの製品が多数発売されます)
電波新聞社のFM-7版では、重ね合わせなどの処理を軽減するために、RGB3プレーンのうち2プレーンのみを使用することで、使える色が4色に制限されるという、当時のスクロールタイプのゲームとしては至極真っ当な作りとなっていました。スクロールも4ドットで処理されています。
そもそも、Tinyではない『ゼビウス』がプレイできるだけでも、その他雑多なマイナー機種(失礼)と比較すればはるかに恵まれた環境であることは間違いないのですが、当時はそんなことを理解する小中学生は、仲間内では皆無だったのです。
PC-6001mkIIの『TinyゼビウスmkII』なんて、動いているところを見ればすぐに凄さが伝わるのですが、田舎の中学生にとっては、ベーマガなどの雑誌がほぼ唯一の情報源。
周りにPC-6001系ユーザーが少なく、『TinyゼビウスmkII』を目にする機会が無かったためか、広告画像の奇麗さのみが明確な機種間のグレードとして植え付けられます。
ゼビウスによる格差が発生
時に、中学生は残酷です。
1985年春頃の筆者の周りでは、クラスで唯一のX1ユーザーが、『ゼビウス』ヒエラルキーの頂点に君臨していました。
友A「俺様のX1ckでは『ゼビウス』が動くんだぜー。羨ましいだろ!」
友B「…ほほう、貴様のFM-7では発売こそされているが、なんか色が変だな。それ以前に貴様はFDDを持っていないので、『ゼビウス』はプレイできないようだ。クックック」
(そういっている彼はマイコン持ってないし、X1ユーザーもこの時点ではFDDを持っていないのだが)
俺「くっ、悔しいぃ」
『ゼビウス』が自宅でプレイできる。それは多種多様なクラスメイトの中で、各個人を階層化して位置付けるには最適な要素だったのです(注:当時の筆者の周りでは)
しかし皆さんの予想通り、そのヒエラルキーは長くは続きません。
この階級構造を根底から覆す出来事が、実は1984年11月には、すでに起こっていたのです。
FM-7版の発売もそうですが、そこはそれ。言わずと知れたファミコン版『ゼビウス』の発売。
当時の家庭向け環境としては最高レベルの『ゼビウス』。
いくらX1版の画面がきれいでも、1ドットスクロールの前には勝てない。
ファミコン自体の慢性的な品切れと、『ゼビウス』自体も発売直後は入手難だったため、長野県の田舎住まいの筆者の周りではタイムラグが発生していました。加えて中学生の経済力もタイムラグの大きな原因でしょう。
そしてファミコン版『ゼビウス』が浸透する頃合いで、筆者の周りでは、X1ユーザーの『ゼビウス』による覇権が終焉を迎えます。
俺「よう! このカーストによく来たな! ゆっくりしていこうぜ!!」
ちなみに、同じメンツでその後「『アメリカントラック』ヒエラルキー」が勃発し、またもやX1ユーザーが頂点に君臨。FM-7ユーザーである自分が最下層カーストになるのは、また別のお話。
【補足】
当時から必要以上に酷評されている気がするFM-7版『ゼビウス』ですが、今見るとなかなか頑張った移植であることがわかり、愛らしい印象も受けます。
時代が変わり、完全移植の『ゼビウス』が普通にプレイできるようになった故での感覚かもしれません。
実際レトロPCイベント(レトロエクスプレス5号)で実機をプレイアブル展示したところ、かなり人気がありました。
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