#04 ソフトを借りるのだ

時は1985年春、FM-NEW7を購入した中学生になったばかりの筆者。
舞台は風光明媚な長野県の田舎村。クラスにはFM-7を持っている人など誰もいない。

幸い少子化以前の田舎中学、学区が広く自転車で30分かけて山道を通うほどの距離に住まうものもいて、一学年に40人x10クラスほどの人数がいる中学校。
広く全学年まで探し出せば、いくら田舎でも数人はFM-7ユーザーが見つかるわけです。

そこはお互いユーザーの少なさを痛感している田舎のFMユーザー同士、自然と同好の士が惹かれ合います。主に損得勘定という汚い絆で。
スタンド使いはスタンド使いと惹かれ合う、という感じよりも生々しい。

私物持ち込みは厳しく制限されている中学生故に、ソフトの貸し借りはトイレ内、お互いの交友関係を結びつけるコーディネーター的な友人の仲介を介して、初めて対峙するFMユーザー二人。

…まあ普通に友人になればいいんですが、時にクラスや学年を超えた損得勘定優先のつながりは、いびつな秘密取引のような体をなすことがあるのです。

クラスに一人くらいはブルジョア階級で、なんでも新作が買えるような経済状況の人間もいましたが、残念ながら筆者の周りではごく一部のX1ユーザーがその階級に君臨していたのみ。末端のFMユーザーはその階級に属しておらず、みな必死に小遣いで少数買ったソフトを糧として、わらしべ長者的な貸し借り(つまりテープのダビングによるコピー)で、自己のライブラリを充実させるに至ります。

ゲーム知識の一次情報は雑誌、それも「マイコンBASICマガジン」であることが圧倒的だったため、そこでの評価は共通認識として共有されています。
前述の『アメリカントラック』の場合でも、映画のようなオープニングとクレジット画面、素晴らしい音楽、スピード感あふれる、手に汗握るゲームセンターの興奮が、FM-7にもやってくる! と思わせるわけで、貸し借りの材料としては引く手数多となるわけです。

交換前に、あえて多くは語らない。全て自分の感覚で、考えるな…感じろ…

とか思いつつ、FM-7ユーザーということ以外あまり良く知らない相手(ひでぇ)に、慈しむような目でソフトを渡す。
相手もなんか同じような雰囲気を醸し出してソフトを渡してくれることがありますが、まあそんなもんでしょう。

誤解のないように補足しておくと、『ザース』ものすごく楽しめました。
なんといっても画面が美麗。ラインアンドペイントで当時の最上級レベルのアニメ絵が、自分のマイコン上で描かれる愉悦。
やはりFM-7テープ環境という限られたリソースでは、当時流行のコマンド探索型アドベンチャーゲームが特に楽しかったのです。

もちろんここでも、デゼニランド受付のねーちゃんに「S●X」とか入力して楽しんだように、トラルド(ザースのヒロイン?)を森で縛って
「モットツヨク…」
とか文字が出るだけなのに楽しめたり、

「シバル」ナニヲ?
「ザース」
「ザースハ ジブンデ ジブンヲ シバッテシマイマシタ GAMEOVER」
とかなっちゃって、最初からテープのロードからやり直しといった、今考えるとクソひどいトラップでも、笑顔で許せたりもしたものです。

 

さあ、ダビングして返却だ(ひどい

 

※全く懺悔になっていませんが、筆者はその数年後から、レンタルショップとか貸し借りで入手したコピー品を、中古が中心ですがオリジナルの入手に勤しむ日々を送ることになります。
オリジナルを入手してコピーを廃棄する人生の旅路。
なんというか、「どろろ」とか「MADARA」の主人公になったような気分(ぜんぜん違う

そして、別の章で詳細は語りますが、FM77AVが出たのち、FM-7テープ環境がマイコンユーザー的にかなりの時代遅れとなった時期でも、我々テープユーザーの貸し借りは日常的に続きます。
ときには貸し借りしたソフトを制服内に隠し持っている時に、怪しんだ教師による所持品検査イベントが発生し、

「誰から借りたか白状しろッ!」
「いえ、名前とか、よく知らないんで…(仲介人を介しているので半分本当)」
「こいつか? それともこいつか(学年名簿から写真を見せられる)」
「…あ、その人です」(ごめん先輩)
なんてこともありました。ひどいな俺。

 

そんな艱難辛苦を乗り越えて、まだ15歳になるかならないかの時期に、あの黎明期アダルトソフトの金字塔『天使たちの午後』(ただしテープ版)が、わらしべ交換会で回ってくるのです。
これは滾るね(なんせ中学生なので