第5回:編集者のお仕事(画面撮影編)

ゲーム雑誌やパソコン雑誌の編集には、他のジャンルにはない独特の必須工程があります。それは「画面写真撮影」、通称「画撮」でして、古今東西問わず必ずついて回る作業です(同じゲーム誌でも美少女ゲーム雑誌だけは少々特殊で、メーカーから掲載用画面素材がそっくり用意されて送られてくることが多い)。

今時のPCやソシャゲであればスクリーンショットの撮影は容易にできますし、家庭用ゲーム機でも専用のキャプチャ機材が用意されることも多くなりました。おかげで昔に比べて随分楽になったのですが、ではその昔の撮影環境とはどんなものだったのか? 今回はその部分に焦点を当てて説明したいと思います。

専用の画面撮影用カメラを使用する

テクポリに限らず、撮影といえば大抵はゲームの画面写真撮影を指します。他にもイベントレポートなどの撮影や物撮り(パソコン本体やパッケージの現物など「モノ」を撮る)もありますが、ここでは割愛。

当時のパソコンはスクリーンショットを取る機能はないため、画面撮影用カメラ(まだスマホはおろかデジカメもない時代なのでもちろん銀塩フィルム……俗にいうフィルムカメラですね)を使用していました。フィルムは皆さんが一般的によく使用されるネガフィルムではなく、ポジフィルム(リバーサルフィルム)を使用、これは印刷製版にそのまま使用できるので色の再現性が高いためです。

一応、ネガフィルムで撮影→印画紙に紙焼きしたものを入稿素材として使用することは可能(攻略記事のフィールドマップなどは紙焼き写真を糊で貼り合わせて作る)なのですが、製版所で製版カメラでもう一度撮影しなければならないという二度手間になるため、基本的にNGでした。

▲ネガフィルム(上)とポジフィルム(下)。

テクポリで使用していたのは東芝製の機材だったため、編集部内では「東芝くん」と呼ばれていたこの画面撮影用カメラ。2機種ありまして15KHz(PC-8801、FM-7、X1、MSXなど)に対応したHC-1000と、24KHz(PC-9801など)に対応したHC-1500が使われていました。写真撮影のスキルに関係なくピンぼけのない安定した品質の画面写真が撮影できるので大変重宝した機材です。

▲テクノポリス1992年1月号の特別企画「テクノポリスができるまで!」より。

シャッターボタンを押すと20秒ほどで撮影が完了するのですが、曲者なのが「撮影中の20秒間は画面を一切動かしてはいけない」という点。少々カメラに詳しい方ならお分かりになるかも知れませんが、この20秒という時間は「シャッターが開放されている」状態なため、この間に画面が動くとブレた状態になってしまうのです。

一部のMSXのようにポーズ機能がある機種ならともかく、PC-8801などはその手が使えないため動作中にディップスイッチを操作して強制的にフリーズ、止まった状態で取るというテクニックがありました(一度止めると復帰手段がないため、ゲームはもう一度やり直し(涙))。

ちなみに私が担当していたゲームは同人ソフトが多かったため、BASICで書かれていたものは機種を問わず(笑)その場でプログラムを書き換えて、先のステージや場面、果ては撮影用ダミー画面を作って撮影することも多々ありました。

プロ用一眼レフカメラを使用する

15KHz~24KHzに対応した機種であれば上記の東芝くんで撮影できるのですが、それ以外の周波数を使用したX68000とFM TOWNSでは、ディスプレイの前に一眼レフと三脚を向けて直接画面撮影していたのです。
使用機材はニコンのF3にレリーズを付けて、絞りを最小まで絞ってシャッター速度は1/4秒くらいの設定でした。シャッターを開放するのは前項の東芝くん同様、モニターの走査線(普通にブラウン管テレビを写真撮影すると画面の一部に入り込む黒い線)が映り込むのを防ぐためです。

シャッターを開放するということは、当然その間に画面が動くとブレた写真になってしまいます。X68000は正面の電源ボタンを押すと1秒くらいでフェードアウトして電源が切れる仕様になっていたため、その間表示が止まっていることを利用して写真撮影に利用していました。1秒以内で復帰しないとそのまま電源が切れてしまうスリリングな撮影方法でしたね。

一方、FM TOWNSの撮影では「ゲームの動作を強制的に止めるソフト」を編集部の上司から渡されて使っていました。停止状態から復帰はできないので都度リセットしていたのですが、あのディスクってなんだったのか? 当時聞きそびれたままになっていたため、いまだ詳細は謎だったりします。

画面撮影中はパソコン本体とカメラを狭い撮影用暗室に持ち込んで黙々と撮影。ゲームの攻略記事などはその間ずっと暗室にこもっていなければならないため、夏場は相当暑くてキツかったことを覚えています。いずれにせよピントや露出の仕上がりは現在のデジカメと違って実際に現像してみるまで確認できないため、当時の画面写真は撮影した人間の撮影の腕前の差が露骨に現れていました(編集者全員がプロカメラマンというわけじゃないですしね)。

▲撮影用暗室で激写された19歳の頃の私。いつの間にこんな写真を撮られたのやら。

ビデオプリンターを使用する

1991年末頃から編集部にビデオプリンター(昇華熱転写方式プリンター)が導入されました。三菱製のSCT-CP100で、ボタンを押すだけで2Lサイズの紙焼き画像としてその場でプリントしてくれます。

▲テクノポリス1992年1月号の特別企画「テクノポリスができるまで!」より。

プリント自体は2分近くかかりますが、上記のカメラと違ってキャプチャ自体は瞬時なので、「パソコンを止めることなくキレイな画像が得られる」「ブラウン管の湾曲がない画面が撮影できる」という大きなメリットがありました。

ただ、ランニングコストがべらぼうに高く(1枚あたり150円くらいだったような)、紙焼きなのでもう一度製版カメラで撮影しなければならないという二度手間でさらにコストがかかるシロモノでした。

さらにプリンター自体の色特性のため、全体的に赤みがかかってコントラストに欠ける絵ヅラになるのも欠点でして、当時のテクポリの写真を見ると独特のクセのある色調が確認できるかと思います。もっとも、この時期には撮影機材としてビデオプリンターが流行った時期でして、テクノポリスに限らず他の雑誌でも似たような状況でした。

1990年代後半になるとパソコンに取り込めるビデオキャプチャ機材が普及したため、色の再現性も大幅に改善されました。というか、パソコンの画面撮影もほとんどスクリーンショットに移行しちゃったので今回題材にした「画面撮影」という概念自体がもうすでにロストテクノロジーなんですね。便利になった一方で少々寂しい気もします。

ABOUTこの記事をかいた人

1972年愛媛県松山市生まれ。アーケード、家庭用、PCはもとより美少女ゲームまで何でも遊ぶ、ストライクゾーンの広い古参ゲーマー。ただし、下手の横好きがたたり、実力でクリアできたゲームの数は決して多くないのが弱点。