それまで社会に出たことなく、バイトの経験も地元の青果市場や書店で少しやったばかりの若造だった私でしたが、編集の世界に飛び込んで目にするものはすべてが初めての連続でした。もちろん、書類選考や面接は通っているわけだから、それなりのお眼鏡にはかなっているとは思うのですが、そもそも名刺の出し方や電話の受け答えすら知らなかったわけで最初の1~2ヶ月は常にテンパっていた記憶があります。
今の出版の世界は大半がコンピュータ上で行われており、CTPと呼ばれる手法が実に9割を占めています。極論を言えば、今の印刷機は巨大なプリンターといってもいいほどですね。
まだコンピューターがそれほど発達しておらず、すべてが手作業で行われていた頃は、それこそさまざまな専門職によって支えられてきました。デザイン、写植、分版、製版、印刷……それぞれの工程を詳しくは知らなくても名前くらいは聞いたことくらいはあると思います。現在はコンピューター上で大半の処理ができるおかげでデザイン、印刷以外の工程はほとんど編集者がやることが多く、会社によってはデザインまで編集者がやることも今では珍しくありません。
▲テクノポリス1992年1月号の特別企画「テクノポリスができるまで!」より。
現代の工程はまたの機会があれば語ることにして、今回は当時のアナログ時代の編集業務について紹介したいと思います。
編集者の仕事は4つ
編集する出版物によって多少は異なるのですが、ごく一般的な雑誌や書籍の編集の仕事とは以下の4つを指します。ライターを使うこともありますが、ライターの業務も概ね同じです。
- 企画
ズバリ「どんな本を作るか」「どんなコーナーを載せるか」という本の中身を考える工程です。企画会議で生まれることもありますが、基本的に編集者は常に頭の中でこれを考えているといっても過言ではありません。一番重要なスキルといえます。 - 取材
企画を実現させるための素材集めの工程です。本や企画内容によってインタビュー、素材収集、資料請求、取材などさまざまは手段があります。一番足を使う工程ですね。ゲーム雑誌の場合はゲーム画面の撮影などの工程もここに含まれます。 - 執筆
取材した素材をもとに原稿の形にまとめ上げる工程です。編集者が一番一心不乱になる時間で、このときばかりは無言状態となります。 - 校正・校閲
校正は「誤字」「脱字」を見つけて修正する作業、校閲は「内容の誤り」を見つけて修正する作業です。専門の業者もあるし、大手出版社になれば校正・校閲専門のスタッフもいるのですが、大抵は関わった編集者が総出でチェックします。
今でも編集業務そのものの定義は同じですが、執筆の工程がだいぶ異なりますので、ここでは執筆1点に絞り込んで説明しましょう。
パソコン雑誌の編集部なのに執筆はワープロだった
執筆環境は、私が編集の世界に踏み込んだ1990年当時、パソコン雑誌の編集部だったにもかかわらずワープロが主流でした。一応説明させていただくと、パソコンで日本語文字変換(フロントエンドプロセッサ)が一般化するようになるのは1980年代後半の話でして、それまでの日本語での文書作成はもっぱらワープロが主流だったのです。しかも、連文節変換の精度も現在ほど高くなく、「今日はとても良い天気です」と書くのすら「きょうは(変換)とても(無変換)良い(変換)天気です(変換)」といった具合に、今から考えるとかなり面倒な代物でした。
ちなみに、ワープロの機種は富士通のOASYS一択。当時の写植屋への入稿もOASYSフォーマットでしか受け付けないところも多く、MS-DOSのテキストファイルですらわざわざOASYSフォーマットにデータコンバートして入稿していたほどです(1991~1992年頃になるとMS-DOSフォーマットの入稿も対応)。
▲ワープロに向かって執筆中の光景。
なお、ある程度まとまった文章はOASYS文書で入稿するのですが、見出しやキャプション(写真の下に入れる短い解説文)くらいであれば手書きで書いて入稿するケースも多々ありました。中途半端な文字数であれば本職の写植オペレーターが直接入力したほうが早いというのがその理由なのですが、字が汚いライターが書いた原稿だと、オペレーターが読み間違えて誤入力するというトラブルもよくありました。他社の話ですが「インド人を右へ」「ザンギュラのスーパーウリアッ上」などが有名ですね(笑)。
▲テクノポリス特製原稿用紙。一行の文字数に印がついていたり、実に実用的。
実はこのワープロですが、なんと編集部で人数分の台数がなく、貸し借りしながら持ち回りで使っていました。確か、15名くらいの人数に対して6,7台くらいしかなかったような……。そもそも、同じ本を作っているわけですから入稿シーズンは当然混み合うわけで、ワープロが空いていないときは写真指定や原稿用紙での執筆をするなど、どうにか融通し合っていました。
私はというと、編集部の自分の机に自腹でFM TOWNSモデル2を導入、FM OASYSで原稿を書いていました。自分の私物なので100%占有できるわけですが、このFM OASYSはフロッピー版だったもので、辞書ディスクの読み込みやディスクの入れ替えなどでメチャクチャ遅かったのを覚えています。
▲マイFM TOWNS。当時の愛読書は当然(?)月刊少年キャプテン!
今思うと、こんな不便な環境でよく普通に原稿書いていたなぁ。