『スーパーファミコンパーフェクトカタログ』校了しました

パーフェクトカタログ』シリーズも8冊目、ようやく真打ちといえるメジャーハードが出てきました。今回のテーマは任天堂の一時代を築いたスーパーファミコンです。別に今までの本で取り上げたゲーム機がマイナーだとか格下だと貶めるつもりはまったくないのですが(そもそもゲームボーイアドバンスゲーム&ウオッチだって十分にメジャーハードですし)、少なくともスーパーファミコンをよもやマイナーゲーム機の範疇に入れる方はさすがにいないのではと思います。

スーパーファミコンは基本的に横綱市場としてゲーム業界(ハード、ソフト、流通)を実質制していたのですが、その一方で常にゲーム業界の波にさらされていたゲーム機でもあります。

そもそも、先代のファミコンを打倒せんとするライバルハード、PCエンジンやメガドライブが投入され、スーパーファミコンは王者としての防衛という役目を生まれる前から課せられたハードでした。結果的にその防衛には成功して任天堂はチャンピオンの座を守り抜いたのですが、1987年9月の開発発表以来、発売まで3年の年月を要しており、その内実はかなりの苦難があったことと推察できます。こと、「ファミコンとの後方互換性」「ファミコンアダプタの発売」「ファミコン下取りサービス」など、任天堂が発売前に発表した発表の内容も(いずれも立ち消えになりましたが)、なんとしてでも王者の座を明け渡すわけにはいかないという強い意志の表れであったといえるでしょう。

その一方で、NINTENDO64への世代交代がうまくいかずプレイステーションやセガサターンにシェアを削られていた時期には、まだ市場稼働率の高かったスーパーファミコンを延命させる方策を執り、4000円安売りクーポンやニンテンドウパワーといった手段でユーザーを繋ぎ止める戦略に出ます(この辺はご存じない方がいらっしゃいましたら、ぜひ本書をお求めの上各サービスの解説を読んでいただければと思います)。

結果、おそらく任天堂自身すら想定していなかったでしょうが、スーパーファミコンは丸10年以上に渡るソフト供給がなされた長寿ハードとなり、さまざまな世代のユーザーに愛されるハードとなりました。これはもちろん節目節目でのヒット作に恵まれた幸運もあったでしょうが、10年以上に渡ってスーパーファミコンを支えるだけの熱意と戦略を任天堂が持ち続けていたからだと思います。

毎度書いている話ですが、『パーフェクトカタログ』を単なるソフトやハードのカタログで終わらせるつもりはありません。当時の開発や時代の世相・事情まで含めて、対象となった製品が愛された魅力そのものに迫ること、ここまで表現できてこその『パーフェクトカタログ』であると考えています。願わくばそんな企画意図が伝わっていただければ幸いです。

余談ですが、「スーパーファミコンが出たのなら当然〇〇○も書いているんだよね?」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。実はだいぶ前から企画は進行しておりまして、ある程度形になったら告知したいと考えています。こちらもぜひご期待ください。


ABOUTこの記事をかいた人

1972年愛媛県松山市生まれ。アーケード、家庭用、PCはもとより美少女ゲームまで何でも遊ぶ、ストライクゾーンの広い古参ゲーマー。ただし、下手の横好きがたたり、実力でクリアできたゲームの数は決して多くないのが弱点。