『NINTENDO64パーフェクトカタログ』校了しました

4月27日に発売される『NINTENDO64パーフェクトカタログ』が本日校了しました。平成に生まれたハードが平成の最後を締めくくることになり感慨深いものがありますが、せっかくの10連休ですからのその間にでも楽しんでいただければ幸いです。ちなみに私はすでに別の本に取り掛かっておりまして、多分10連休はまったくの休み無しになりそうです。

さて、今回の本のテーマはNINTENDO64となったわけですが、今まで扱ったパーフェクトカタログのシリーズに比べるといささか新し目のハードです。とはいえ、発売からすでに23年も経過しているわけですから十分にレトロゲームとして語る範疇に入るのではと個人的には思っていたりします。そもそも前回ですでにPC-FXを題材に選んでいますしね。その割には他の媒体でもあまり語られることもなく、勿体無いなと思いながら今回の本の制作に取り掛かりました。

NINTENDO64はそれまで家庭用ゲーム機市場の王者であった任天堂が初めてシェア首位から陥落したハードでして、『ドラクエ』も『FF』もないという、同社にとってこれまでにない苦しい戦いを強いられた時期でした。いち早く64ビットCPUを搭載したことから「スペックに溺れたハード」と揶揄された向きもありますが(故・横井軍平氏は64の高スペック路線を快く思っていなかったと聞きます)、ハードのスペックと、任天堂の64にかける一連の立ち回りを紐解いていくと、任天堂がNINTENDO64を通じて当時目指した「新しい遊び」が(今だからこそ)見えてきます。

任天堂にとって一番苦しい戦いだったのは、シェアトップの座から陥落したことではなく、自分たちが思い描いた「新しい遊び」をサードパーティーにも、ユーザーにも理解されずに、ただ孤独に模索していた点だったのではと思うのです。私も過去にゲーム開発の現場に身を置いていたから痛感している事実ですが、「今までにない面白さ」を会社どころかチーム単位ですら意識統一するのは非常に難しいことです。何しろ、ゲームができていないうちからプレゼンや資料だけでその面白さを表現しなければならないわけですから。「『ドラクエ』みたいなゲーム」といえば一言でイメージの統一を図ることが可能ですが、人間は自分の経験にない、想像の外にあるものをイメージするのは不可能と断言してもいいでしょう。

話を戻すと、NINTENDO64でやろうとしたことは、当時発売されたソフトやサービスの端々から「似顔絵チャンネル」や「メイドインワリオ」、「サンドボックス」など、ツールとコミュニケーションが融合した娯楽だったり、「ツールやリソースのモジュール化」の原型が見えてきます。今の時代だからこそこういった一言で説明できますが、20年以上前にこれを訴えてもほとんど伝わらなかったのも無理からぬ事だったでしょう。事実、当時の私もピンときていませんでした。

これらの遊びの楽しさは、10年後、20年後という長い時を経てWiiや3DSなどの後続ハードで結実するのですが、この脈々と受け継がれてきた任天堂の魂の源流をぜひ広く知ってほしいと思ったことが『NINTENDO64パーフェクトカタログ』の執筆理由だったりします。もちろん、ゲーム機はしょせんゲーム機ですから、小難しい理屈はさておき「遊んで楽しいこと」が第一義です。そのため、まずはNINTENDO64が楽しいハードだったという魅力に浸っていただき、その底に流れるハードの魅力、任天堂の魅力に触れていただきたいというのが本音です。

当時のNINTENDO64に夢中になった小中学生(現在30代くらいの方々)はもちろん、上の年代、下の年代の方まで、本書を通じてその魅力に触れていただくことができれば、監修者としてこの上ない喜びです。決して安い本ではありませんが、ぜひお手にとってご覧になっていただきたい、そう切に願っております。

ABOUTこの記事をかいた人

1972年愛媛県松山市生まれ。アーケード、家庭用、PCはもとより美少女ゲームまで何でも遊ぶ、ストライクゾーンの広い古参ゲーマー。ただし、下手の横好きがたたり、実力でクリアできたゲームの数は決して多くないのが弱点。